茶に惚れてはならない。
荒茶の仕入れや品質鑑定をし始めたころ、そう教わりました。
素人同然だった手前、当然何を言っているのかさっぱりわからずに、専門用語としては茶と惚れるが言葉として結びつかないし、もちろん惚れるという感覚なんて全く、カケラさえなく。
これは美味しいな、この香りは広がりがいいな、
こういう感じのお茶は苦手だな。
使い勝手がいいな、綺麗な見た目だな、安く買えてお得だったな。
いろいろな失敗もしながら、月日が経ち、徐々に経験値を積んでいくことができました。
そんな日々の、ある日。
期せずして、そのお茶は目の前にやってきたのです。
それはもう圧倒的な存在感で。
異質なオーラを放ち。今までの経験の全てを嘲笑うように、「お前は何も知らない」と言っていました。
美味しいとか、好きだなとか、綺麗だとか。そんな表現の全てを遠い彼方に消し去るほど、その味と香りに「鷲掴みに」されていました。
こんなお茶がこの世に存在するのか、、、と唸りながら。
そして気づけば教えられた禁を破り、”茶に惚れて”しまった自分がいました。
あぁ、あの時言っていたことはこれか。これが惚れるだったのか。
なぜ禁じられたのか、ようやくわかったのです。
例えばそれは、お客さまが求められるであろう「茶」を考えなくなってしまうから。
例えばそれは、価格を無視して、使えるかどうかもわからない「茶」を仕入れてしまうから。
(往々にして”惚れて”しまうようなお茶は高い)
例えばそれは、自分が惚れた「茶」を、人に押し付けようとし過ぎるから。
自分勝手になることへの戒め。そのための ”茶に惚れるな” でした。
あれから少し時は流れて。
その禁は、、、あまり?ほとんど?むしろ全くと言わざる得ないほど、守られていません(笑)
なぜなら惚れるほどのお茶は滅多になく、作り手の理想やこんなお茶にしたいという強い意志を、お茶を通じて感じられる方が、結果的に人の役により立てると思うから。
作らずにはいられない人たちが作ったお茶が、存在し続ける未来に美しさを感じるから。
茶箱を開けた瞬間。
瞬きをする間もなく、心と五感を「鷲掴み」にされるかもしれません。
あなたも気をつけて、、、。