かつてこの国にはじめてお茶がもたらされたのは平安時代。空海や最澄らの僧が中国より種を持ち帰ったことによって始まりました。種を伝えられた栂ノ尾高山寺(こうざんじ)の僧、明恵上人(みょうえしょうにん)が、より良い産地を探すうち、ここ宇治に辿り着いたのだといいます。宇治は文字通り、宇治茶のふるさとです。
京都の南に位置する宇治。1000年の昔、紫式部は源氏物語の最後の舞台にここ宇治を選びました。平安の昔、貴族たちにとって祈りと癒しの地であったこの地は、平等院、宇治上神社というふたつの世界遺産を擁し、京都市内とは少し違ったたおやかな雰囲気を醸し出しています。とうとうと流れる川は、お茶の栽培に適した湿度をこの地に与えました。
宇治川から立ち上る朝霧が茶の栽培にふさわしいと、足利義満が茶園を作るように命じて以来、宇治は最高級日本茶の産地として現在に至っています。
上流階級の人々のたしなみとしてはじまった喫茶の習慣は、社交の道具として武家社会に広まり、やがて茶道として完成されます。それは礼節やもてなしの心を基本とする日本文化の礎となりました。村田珠光(むらたじゅこう)、武野紹鴎(たけのじょうおう)、千利休など、歴史に名を残した数々の茶人たちと共に、その茶の文化を支えたのは茶商たち。特に煎茶や玉露など、新しいお茶を生み出してきた宇治の茶商の存在が、宇治茶を日本茶の代表として知らしめることとなったのです。
2012年、当家にて古い『永代日記』と称する書物を初めとする古文書が多数見つかりました。
その書物の内容により、当家の歴史に新しい発見があり平成25年(2013年)に当家の歴史を下記の通り改めます。
中村藤吉。その歴史は初代中村藤吉の両親が出会った文政2年、1819年にさかのぼります。
初代中村藤吉の父、六兵衛は、伏見の板金屋久兵衛の子として生まれますが、早くに茅葺き職人の小中村六衛門の養子となり、自身も茅葺き職人となります。
そして文政2年、宇治槙島農家 古島文右衛門の娘トサと結婚、長女ツルをはじめ二女三男5人の子供をもうけます。藤吉と名付けられた4番目の子供(次男)が後に中村藤吉を名乗り、茶商を創業することになります。
天保年間、1830年頃、小中村六兵衛は宇治に居を移し、そこで鳥取藩池田公と縁の深い御物茶師星野宗以と出会います。
茅葺き職人であった六兵衛と大名のお抱え茶師にどのような接点があったのでしょうか。
もしかしたら二人を結んだのは茅葺きの茶室だったのか、母親の実家『宇治槙島農家 古島文右衛門』の関係だったのかもしれません。
この時から当家は宇治茶と深く関わることとなります。その後、藤吉は星野宗以の元に幼くして丁稚奉公をし、早々に若くして手代となるのです。
ときは幕末、尊王攘夷が叫ばれ、長い鎖国の時代は終わりを告げようとしていました。安政元年、1854年、六兵衛の次男藤吉は茶商となり、中村姓を名乗って現在の本店宇治橋通六番町にて茶商「中村藤吉商店」を創業。創業から約三年間は、『星野宗以手代 中村藤吉』『丸屋藤吉』『中村藤吉』と名乗っていた時期があり、その『丸屋藤吉』をもじって現在の屋号『まると』が誕生します。
新しい時代の予感のなか、藤吉は時代の波に乗って商いを広げることに成功します。
藤吉には兄久七がおり、次男の彼は幼い頃より独立心に富んでいました。家業にとらわれることなく、新しい世界に飛び込むことに何の迷いもありませんでした。時代を、時勢を読む力と、人を結びつける能力に長け、父が仕えた星野家とも長く関わりを持ち続けました。その星野家を通じ米子、松江にも支店を設けるなど、中村藤吉の名は広く世に知られるようになりました。
松江の松平家とも関わりがあったことは、現在に伝わる本店敷地内に出雲松江の第七代藩主松平治郷、茶人号「不昧公」好みの『濡鷺灯籠』があることからもうかがい知ることができます。
藤吉はまた幕末の英雄勝海舟から賜った『茶煙永日香』~子々孫々にわたり、宇治の地で茶の商いに精進し、当家の茶の薫煙を絶やさぬように~の書を本店の玄関に掲げ、家訓としたのです。
藤吉は安政3年、1856年に宇治郷六代目 種村左吉衛門の長女ムメを妻に迎え、長男芳太郎をはじめ4男3女をもうけました。その芳太郎が二代目藤吉を受け継ぎ、三代目卯吉、四代目東次、五代目復也、そして当代当主藤司と、代々誠実を旨に茶業ひとすじにおよそ170年のときを刻んでいます。
宇治市名木百選に選ばれた、中村藤吉の歴史を見守る中庭の宝来舟松(ほうらいふなまつ)と呼ばれる樹齢約250年のクロマツは、二代目藤吉が家業安全を祈り植えさせたもの。二代目藤吉は先見の明をもって茶臼の自動化に成功、特許を取得しました。大正4年には『大正天皇御大典』、昭和3年には『昭和天皇御大典』の折、当家のお茶を献上、お買上頂く栄に浴するところとなりました。
門外不出のお茶「中村茶」をはじめ中村藤吉の銘茶は、時を超え、広く長く愛されています。
平成13年には製茶工場をカフェに改装。宇治茶と抹茶のスイーツによってより多くの人々にお茶のおいしさとその至福のときをより楽しんでいただけるようにと、当代藤吉の思いが結実しました。上品でまろやかな味わい、甘くすがすがしい香り。中村藤吉は宇治で花開いた茶文化を次代へと伝うべく、170年もの伝統に創意を重ね、宇治を代表する茶商としてこれからも宇治茶の未来を切り拓いてまいります。
歴代当主が守り続けた家屋は、明治期の典型的な茶商の姿を今に伝える建物として平成21年、国の「重要文化的景観」に選定されました。